村上春樹初期作品の中に見つけたファッションの定番品
『1983年のピンボール(1980年)』から『ダンス・ダンス・ダンス(1988年)』まで、
デイリーウェアにおける“村上春樹的マスターピース”を徹底調査。
ファッションの目線で村上作品を再検証。
ベストセラー作家・村上春樹は、今や日本だけでなく海外の人も注目する存在になっていますが、その人気を決定付けたと言える初期作品の数々を読み返すと、実は近年の作品よりもファッションに関する具体的言及が多いことに気づかされます。そして文章に記された作家自身の趣向が反映されたオーセンティックなアイテムたちは、40年近い月日が経った今でも「定番」として価値を持つものばかり。
今回は今でも色褪せない村上初期作品同様、現代でもパーマネントな魅力を放つファッションアイテムを作中からピックアップしてみました。
※本企画に掲載する商品は、「現在入手可能なもの」を基準にピックアップしています。ブランドやアイテムの具体名が作品に記されていない場合は、作者の意図を汲み取りながら、編集部独自の推測をもとに掲載していることをあらかじめご了承ください。
①“コードヴァンの靴”(『1973年のピンボール』)
村上春樹がコードヴァンのパイオニア的存在だった?
村上春樹の作品の中に初めてコードヴァンの靴が登場したのは2作目の長編小説にあたる『1973年のピンボール』が『群像』(1980年)に掲載された時。この時期はちょうど[ALDEN(オールデン)]が日本に入りはじめたばかりであり、“コードヴァン”という名称も未定着でしたが、アイビー・ルックに精通していた作者だからこそいち早く取り入れることができたのかもしれません。その後、1984年を描いた『1Q84』(2010年)でも“しみひとつない真っ黒なコードヴァンの靴”という記述されているシューズは、そこにブランド名は記載されていないものの、[オールデン]だと予想する読者が多いようです。村上春樹のエッセイ『日出ずる国の工場』によると[REGAL SHOES(リーガル シューズ)]も愛用しているとのことですが、そのブランドとは果たして……?
②“スヌーピーがサーフボードを抱えた図柄のTシャツ” (『羊をめぐる冒険』)
70年代からアメカジの定番キャラクター
自由なアメリカ文化や、その根底に流れる空気感を文体から教えてもらえるのが村上作品を読破する醍醐味の一つ。その作中に漂うアメリカのムードは、ファッションのバイブル的名著『チープ・シック』にもラインナップしていそうな登場人物のフッション描写や、登場人物の口グセからも感じ取ることができます。村上作品によく登場するおなじみの「やれやれ」というセリフはアメリカンコミックの代表『ピーナッツ』の「Good Grief(やれやれ)」から由来しているとの説も。『羊をめぐる冒険』で「僕」がスヌーピーのプリントTシャツを着て登場するなど、多少の影響は受けているのかもしれません。
③“ブルックス ブラザーズのスーツ” (『世界の終わりとハートボイルド・ワンダーランド』など)
“普遍的”という理由で村上春樹が好んだスーツ
青年時代を[VAN JACKET(ヴァン ジャケット)]一辺倒で送っていたという村上春樹は、その影響もあってか、いわゆる“アイビー・リーガー御用達”といわれるブランドについて作中で頻繁に取り上げることも。中でも、アメリカの[Brooks Brothers(ブルックス ブラザーズ)]は彼にとって特別なようで、『世界の終わりとハートボイルド・ワンダーランド』(1985年)をはじめとする多くの作品で登場。同ブランドのスーツは、いざというときの一張羅的アイテムとして登場人物たちのクローゼットにスタンバイしており、服装をフォーマルにチェンジする時の定番着となっています。
④“ナイキのスポーツバッグ”(『世界の終わりとハートボイルド・ワンダーランド』など)
部活で使っていたスポーツバッグの新たな活用法は?
村上作品において、この類の“ビッグバッグ”がでてくるシーンと言えば、主人公が何かを探しに旅に出る場面、いわゆるクライマックスへ繋がる “山場のはじまり”において。エッセイ『村上ラジオ3』(2012)でも「鞄というのは、目的や内容にあわせて、それにきちっと適したものを買おうとしても、あまり良い結果が出ないみたいだ」と自身の経験を述べているように、登場人物が作中でセレクトする鞄は並べてカジュアル。中には[Samsonite(サムソナイト)]や[LA BAGAGERIE(ラ バガジェリー)]などのブランドが登場することもありますが、大抵は量販店で売っていそうなスポーツバッグや間に合わせで買ったチープなビニールバッグを持って出かけます。一見すると飾り気のないチョイスですが、旅慣れた作者の、“単純なものほど使える”というバッグへの哲学が十分に表現された描写です。ちなみに[NIKE(ナイキ)]がスウッシュマークのシューズをリリースしたのは1971年。『世界の終わり〜』発表時の1985年当時はまだ新しい存在のブランドでした。
⑤“アップル・レコードのりんごのマークのTシャツ”(『ノルウェイの森』)
THE BEATLESが似合う女の子が好き
村上作品に共通する一種の“あるある”の一つに、「ヒロインの女性が消える”とクライマックスが動きだす」という説がありますが、他にも“プルースト効果”のごとく装置的役割を持つさまざまな仕掛けがちりばめられています。『ノルウェイの森』においては、それがTHE BEATLES(ザ・ビートルズ)の曲、特に“ノルウェイの森”。同名の曲にちなんだタイトルにもあるように、この曲が登場するとワインを飲みながら男女が親密になり、歌詞のシチュレーションがなぞられていきます。そのダブルミーニングの徹底ぶりは、登場人物の衣装に至るまで。物語のキーパーソン的女性、「緑」がブルージーンズに合わせているのも“アップル・レコードのりんごのマーク”のTシャツです。
⑥“ディズニーウォッチ” (『ノルウェイの森』)
“気取らなさ”の象徴として
『ダヴィンチ・コード』でも“ラングドン教授”が幼い頃に両親から送られたミッキーウォッチを着けているように、当時の子供がある種の通過儀礼的に身に着けていたアイテムがこのディズニーウォッチ。その歴史を遡ってみると、1933年にアメリカの[INGERSOLL(インガソル)]の「ワン・ダラーウオッチ」によるミッキーマウスの時計が最初といわれており、これがのちの[TIMEX(タイメックス)]などのブランドに受け継がれていくことになります。日本では1961年に[SEIKO(セイコー)]によりスタートしたディズニーウオッチですが、1968年が舞台となる村上春樹の『ノルウェイの森』において、「緑」が腕元に合わせていたのもそれかもしれません。いずれも「気取らなさ」の象徴のように機能しているのは、昔も今も変わらなそうです。
⑦“ポロ ラルフ ローレンのピンクのポロシャツ”(『ダンス・ダンス・ダンス』)
あの定番を先取り
いつかの村上春樹のインタビューで、「普段着は[Gap(ギャップ)]、[Banana Republic(バナナリパブリック)]と[Ralph Lauren(ラルフ ローレン)]。お洒落したいときは[COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)]を着ている」と、自らのファッションについて語った記事がありました。自身でもそう述べている通り、彼の描く登場人物の多くも[ラルフ ローレン]を着用。中でも、ポロシャツとコットンパンツの頻出度は高めです。ポロシャツにチノパン、革靴というアイビー・ルックに則った『世界の終わりとハートボイルド・ワンダーランド』の“ちび”や、アメリカ文化流入時代でもあった1983年が舞台の『ダンス・ダンス・ダンス』でもポロシャツを着た少女“ユキ”が、まだ日本未上陸(日本上陸は1994年)だったにも関わらず当時の“最新”をまとって登場しています。
⑧“コンバースの赤いハイカットのオールスター” (『ダンス・ダンス・ダンス』など)
青年時代からのアップデイトのない足元?
公の場に現れるときの作者自身の足元は[CONVERSE (コンバース)]であることがしばしば。それは、彼の一作目となる長編小説『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞(1979年)授賞式の時から変わっていないようです。現に、この年月が経っても変わらない自身のファッションを「ライチャス・ブラザーズとホール&オーツくらいの差しかない(ライチャス・ブラザーズの“ふられた気分”はホール&オーツによりカバーされた)」(『日出ずる国の工場』より)と表現しており、その変わらぬ趣向は作中に登場する人物が履くカラーの異なる多様な[コンバース]に見ることができます。
⑨“カルバン・クラインのジャケット”(『ダンス・ダンス・ダンス』など)
“シックな装い”の総仕上げ的ジャケット
昨年、チーフ・クリエイティブ・オフィサーにラフ・シモンズを迎え、人気が再燃しつつある[CK CALVIN KLEIN (CK カルバン・クライン)]。1983年が舞台の『ダンス・ダンス・ダンス』で主人公が同ブランドのジャケットを、“僕のワードローブで一番シックな服”と述べているように、80年代の日本では[ラルフローレン]同様、非常に活気があり多くの人の憧れのブランドでした。作中の“五反田くん”や“僕”のスタイリングに倣って、ボトムにはブルージンズ、首元にはニットタイを、そして足元にはスニーカーを合わせれば、アメリカントラッドにユルさを備えた村上春樹流のプレッピースタイルに仕上がりそうです。
⑩“リーヴァイスのブルージーンズ”(『ダンス・ダンス・ダンス』など)
作中で最も登場回数の多い村上ワールドの日常着
村上春樹をお洒落だという人がいる一方で、当の本人からすれば自分は 「服装にあまり気を使う人間ではない」(『日出ずる国の工場』より)そう。しかしその一つのブランドだけを着続ける側面もあるようで、[Levi’s®(リーバイス)]の「ブルージーンズ」も、作者自身のローテーションに組み込まれているアイテムです。アイテムは『ダンス・ダンス・ダンス』をはじめとする作中でも何十回と登場しており、ジャケットやTシャツ、ナイロンパーカーなど、どんなシーンにも違和感なくコーディネイトされています。“真っ白になるまで洗ったブルージーンズ”や“古く色あせたブルージーンズ”など、登場人物のデニムの穿き込み具合にも注目です。
⑪“紺のトップサイダー”(『ダンス・ダンス・ダンス』)
プレップ・スタイルを代表するフットウェア
『ダンス・ダンス・ダンス』の舞台となる1983年において、いわゆる成功者が手にしたであろうブランドを掻き集めた“五反田くん”のスノッブなスタイルと、当時のアメリカントラッドなファッションをうまい具合にミックスさせた「僕」の装い。その服装の描写から両者に共通して言えるのが、ファッションの名著『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』に影響を受けたようなアイテムを使ってコーディネイトをしているということ。その象徴として、同作でもプレップ・スタイルを代表するフットウェアだと定義されている[SPERRY TOP-SIDER(スペリートップサイダー)]のシューズを日常で愛用しています。このスタイリングは「僕のおなじみの服装」として描かれており、ベーシックでオールラウンダーなルックスはどんな装いにもハマります。
⑫“アシックスのジョギングシューズ” (『ダンス・ダンス・ダンス』)
ランニング作家でもある村上春樹も御用達?
作家という職業の傍ら、約26年にわたって世界各地をランニングしてきたという村上春樹。旅行鞄にはいつもランニング・シューズを入れているという本人は、ランナー作家として『走ることについて語るときに僕の語ること』というエッセイも執筆しています。ランニング・シューズは、「軽くて甲の幅が広いサイズ感のものを選ぶというのがモットー(『Number Do』より)」だという彼の描く作品には、その足入れの経験を生かしたランニング・シューズの記述がチラホラと出てくるのも特徴。その一つが、『ダンス・ダンス・ダンス』で“五反田くん”が履いていた[ASICS (アシックス) ]のランニング・シューズ。学生時代、体育や部活で履いていたちょっとイナたいイメージのあったスニーカーは、その履きやすさが理にかなっているだけでなく、今履くと装いに逆転現象をもたらしてくれそうです。
⑬“マリメッコのクッション”(『ダンス・ダンス・ダンス』)
北欧通でもある村上春樹が勧めるファブリックとは?
アメリカ文化に造詣が深いとされる村上春樹ですが、世界を旅する小説家の知識の守備範囲は広く、北欧のインテリアにもその目が向けられています。プライベートと小説がシンクロする村上作品の中に、時折出てくる北欧ブランドといえば[Marimmekko(マリメッコ)]。『ダンス・ダンス・ダンス』では主人公の「僕」の部屋で椅子の代わりに同ブランドのクッションが用意されており、家具的役目も果たしていたりします。大胆な柄のファブリックは、“ほとんど何も置いていない”という物寂しい「僕」の部屋に、アクセントをもたらしているようです。
⑭“ヴィンテージのトレーナー”(『ダンス・ダンス・ダンス』など)
ヴィンテージトレーナーで好みのフォントを探して
『1973年のピンボール』において双子が着ているナンバリングが入った“トレーナー”や、『ダンス・ダンス・ダンス』での“GENESIS”とバンド名がプリントされたものなど、村上春樹作品でよく見かける近年は主にスウェットと呼ばれるようになったアイテムに関しての言及。実際、本人がプライベートでよく着ているのは「大学生協で買ったロゴ入りのアイテム」とのことで、ブランドものではなくカレッジものに目が行く嗜好はアイビールックの流れをしっかり受け継いでいるようにも感じます。その他にも企業ものやスーベニア系など、時代の空気を味わえるのもヴィンテージスウェットの特権です。
edit &text_Marina Haga / styling_Masayuki Ida / photo_Kengo Shimizu
《編集後記》
初めて村上春樹を読んだのはおそらく高校生のとき。当時、“トム・ヨーク(Rediohead)が読んでいる本”ということを聞き『ねじまき鳥クロニクル』でのデビューでした。そこから彼の“長編小説”といわれるジャンルを読んでいくことになるのですが、ある程度読んだところでマイブームは終了。暫し村上ワールドから離れることに……。今回、それらを十数年ぶりに引っ張り出して、当時の時代背景やエッセイなどを並列させながら「形象読み」してみました。今のようにネットが普及しいていない時代にもかかわらず、村上春樹の取り入れるブランドは日本未上陸の最先端なものばかり。登場人物のスタイリングを器用にこなす村上春樹はまさにファッションリーダーにも感じました。この企画を機に私の村上ブームが再熱しているので、今回を第1弾として他のシリーズもやっていきたいと思う次第です。(羽賀)